信行寺は文明13年(1481年)、阿波の国今津浦(現徳島県阿南市那賀川町)に西願法師により建立されました。以来、阿波における浄土真宗の興隆に努め、戦国時代の本願寺と織田信長との戦い(石山戦争)には、海を渡り、大坂の本願寺に兵糧を送り届けるなど教線拡大と教団の維持に大きく貢献して参りました。
その信行寺の歴史を先代住職淺野文彰が歌にしています。
信行寺讃歌 淺野文彰 作
一 応仁乱世の 飛ぶ雲に
はやてと興る 門徒衆
弥陀一向を 伝えむと
さきがけ寺ぞ 至心山
二 怒涛と寄せる 織田の勢
六字の旗は 揺れもせず
石山城に 戦いし
父祖の血 今も胸に湧く
さきがけ寺ぞ 至心山
三 田は肥え家は 豊かにて
いらかは重し 那賀の里
慈悲に抱かれて 五百年
われら同行 今もゆく
さきがけ寺ぞ 至心山
昭和33年に川崎生田の地に公園墓地春秋苑を開苑し、その中に信行寺川崎分院を開設しています。
春秋苑の墓地使用者の方のみならず、広く近隣の方々の法務に携わっています。